②特定機能図書館

 現在人口約214万人のパリに「特定機能図書館」と呼べるそれぞれ特定の分野に蔵書とサービスを集中した図書館が100以上もあるのをご存知でしょうか。ご説明するよりまず、その内の30館を取り敢えず名前だけでもご紹介させて頂くと次の通りです。
30館挙げただけでも驚くべき内容の豊富さです!実に珍しくも趣向を凝らしたこれら奇特な図書館がパリの街に隈なく分布し、パリジャンの知的欲求を満たしています。その濃密な配置とヴァリエーションから、これは最早「知のジャングル」と言ってよく、我々をその知的冒険の世界に誘ってくれるのです。ただそれは雑多に並べられたものではなく、デカルトの国の合理主義により、地域的関連性を踏まえ、相当レベルの行政的配慮のもとに実現・維持されているものである事は、その利用マップを見るだけでも明らかです。「Paris en Bibliotheques」と言う名の最新のマップにはなんと120館が表示されていますが、実際にはこれだけではなく、まだまだ有るのです。設置形態は単独の建物だけでなく、オテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)内、ミッテラン国立図書館内、大学・研究所内、あるいは各種の記念館との併設など様々です。フランスではまた「Mediatheque」と言う名の、音楽や映画のCDやDVDなどを貸し出したり聞かせたりする、オーディオ・ビジュアルに対応した図書館の機能が発達しているのも一つの特徴です。
私が実際に行った図書館のうちから2,3の例を挙げてみましょう
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まず「Centre National de la Danse」と言う名の、パリの東北辺にあるダンスの専門図書館です。ここはダンス学校も有るダンスの総合施設で、図書館内には舞台ダンスからカーニバル、世界各地の踊りに関する本が並べられ、中国の漢字の「中華舞踏図説」の本や日本の能の本まで有るのには恐れ入ります。更にはコスチュームや服装史に至る広範囲な蔵書を擁しています。惜しむらくはフォークダンスに関するものがほとんど見当たらなかった点ですが、これとても旅の訪問者の見落としかもしれません。ダンスという性格から書棚の所々に貸し出し用のビデオが置かれている所などは心憎いものが有ります。
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次に「Bibliotheque FORNEY」と言うセーヌ川の右岸に程近い図書館は、静かなたたずまいで、中世の城館を使っていて、磨り減った石の階段や内部のフランボワイヤン様式の彫刻など、中に入るとフランスの遠い昔にタイムスリップしてしまいそうな趣があります。建物の裏手は花に囲まれた庭園になっていて、恋人達や近所の人々が午後の一と時を寛ぎに来たりしています。この図書館では広告に関する全てと言ってよい蔵書が収められていて、閲覧室も広く、クラシックな雰囲気に浸りながら知的な時を過ごすにはもってこいの場所です。驚くべき事に雑誌などの広告が一枚一枚切り取られて、ジャンル別に細かくスクラップされ、一般の利用者も希望すれば見せてもらえる事です。ただコピー機の使い勝手が悪く、私が途方に暮れていると、係りの方が事務室のコピー機を親切にも無料で使わしてくれました。
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最後にポンピドゥー芸術文化センターを挙げなければなりません。長い名前なのでフランス語の表示は省略しますが、建物前の大道芸人の見世物とともに余りにも有名な観光スポットであり、ここにも図書館が付いています。椅子に腰掛けてゆったり勉強できる閲覧スペースを広く取ってあり、使い勝手も良いのか、恐らくパリ一の人気図書館でしょう。飲み物やスナックも買って食べる事が出来るので、若者には特に人気のようです。建物の上部が現代アートの美術館になっているので、それに対応して美術を中心とした沢山の本が置かれています。入り口の前には本を読む為と言うよりは勉強に来る学生を中心にいつも行列が出来ていて、約一時間待ちは当たり前です。中に入れば明るく近代的でワクワクする程楽しい図書館ですが、せっかちな私は一回並ぶだけで懲りてしまいました。もっともこの界隈は食事をするにも寛ぐのにも格好の場所なので、私もポンピドゥーセンターの近辺にはよく出没していますが...。
この様ないわゆる特定機能図書館がパリはもちろんその郊外、そして地方の都市へと広がってゆくのです。もちろんパリに限っても各区で運営している”普通の”図書館も有り、それらも併せて数の多さとその多様性がフランスの図書館の一大特徴となっています。この事がフランス文化の知的水準を維持向上させる一つの重要なファクターになっている事は間違いありません。
翻って日本では多少の例外はあるにせよ、総じて図書館の形態がワンパターンでお役所の一部、あるいは貸し本屋さんの延長のような印象を受けます。図書館のコンセプトが余りにも固定的で型にはまっているように思えるのです。僭越ながら申し上げれば、図書館の設置や運営の仕方にもう一工夫必要なのではないでしょうか。その際にこれまでご紹介したパリの特定機能図書館の有り方が多少とも参考になろうかと思われます。
観光旅行でやってくるエトランジェには見落とされがちなスポットですが、街角に星屑のように散りばめられたこれら数々の物言わぬ図書館の群れは、花の都巴里に燻し銀のような隠然たる輝きを放っています。旅のつれずれにちょっと変わった図書館へ、というのも悪くないものです。煎じ詰めればパリの図書館もフランス人のエスプリの産物の一つと言えなくもないからです。

巴里より


特定機能図書館

行政関係専門図書館(オテル・ド・ヴィル内)

アンドレ・マルロー映画ライブラリー

装飾・デザイン・モード図書館

グラフィックアート図書館

映画の歴史・古文書館

家系・系譜専門図書館

パリ市の歴史図書館

東洋言語図書館

医学図書館

薬学図書館

ジョルジュ・ブラッサンス図書館

女性とフェミニズム専門図書館   

ポーランド・東欧諸国図書館

旅行の総合図書館

法律・科学・経済専門図書館

文学と人間科学図書館

青年の為の総合図書館

映画総合図書館

ゲーテ図書館

ラテンアメリカ図書館

アラブ図書館

教育関係専門図書館

スポーツ図書館                   

統計・経済研究センター

子供図書専門図書館

パリ・ミュージック・ライブラリー

動植物専門図書館

ポンピドゥー芸術文化センター

広告図書館

国立ダンス図書館

(その他多数)





①「フランス朗読事情」

 6月も末のある朝、パリにある「A VOIX HAUTE」(声を出して)と言う名の朗読会、インターネット上では通称「ボヴァリー夫人の会」にひょっこり参加してみました。役所の施設の一室を使っていて、日本の区民会館などと同じです。周囲は歩行者専用の道に赤いテントのカフェが立ち並び、なかなか素敵なカルチエです。道に面した壁は総ガラス張りなので、歩く人影まで良く見え、朝の明るい光が差し込みます。
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この会では週二回、10人程の人が集まり、めいめい自分の読みたい本の一部を一人5~6分でリレー方式で読んで行きます。私が訪れた日は、現代作家ピエール・ミッションの「僧」や、「ラ・フォンテーヌ寓話」、チェーホフの「結婚の申し込み」、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」など、翻訳物も含めて幅広く読まれていました。「ボヴァリー夫人」や「赤と黒」を読む事もあるそうです。その個別朗読が一通り済むと、ちょっとお喋りをして、後半は一時間ほどみっちりとリーダーの方の模範朗読に耳を傾けます。そのリーダー、つまり講師の方はMOLINOさんと言う演劇の役者も兼ねる渋い中年のイケメンで、その他一般の参加者は全て女性、上品で落ち着いた教養あるマダムと言った方々です。
私もアストライアの会でスタンダールの「赤と黒」を鑑賞する朗読会を開いているので、日仏交流の為、さっそく姉妹会にしてもらいました。「貴方も読んでみたら」と勧められ、拙いフランス語で朗読をするハメになる一幕もありました。
ただせっかくの訪問ですから、私からこの際多少気に掛かる点も幾つか質問してみました。金曜日の10時からでは若い人や働いている男性はムリなのではと尋ねた所、男性はまずこの様な会に参加するのに臆病で、朗読や文学を理解する程の繊細さに欠け、たとえ参加したとしてもすぐ優劣の競走を始め、多くはサッカーなどのアウトドア物に関心が移っているとの事、状況はダンスやシャンソンその他の趣味の分野でも同じと言う回答でした。日本の状況ととても良く似ています。洋の東西を問わず、男性はもっと心を広くせねば女性について行けません!
それからご他聞に漏れずフランスでも読書習慣の衰退傾向が顕著で、小さな子供もテレビの影響で親の読み聞かせすら嫌がり、ごく短めの物を少しずつ読んであげるしかない、との声も聞かれました。将来本を読む子供に育つように、「揺り籠に本を放り込む運動」すら有るそうです。しかしここフランスでも読書を勧める為、「読書マラソン」を始め様々な試みがい行なわれています。朗読もモリノ氏の話では、この様な会はフランスでは多くないけれども、最近はだんだん盛んになっているとの事でした。
特にパリでは私の知る限り、この様な公共の施設を使った集いや、カフェの奥まったスペースでお茶を飲みながら、あるいは普通の奥様がfete(一種のパーティー)の形で客を招いたりと、いろいろな場所で朗読会が開かれています。
読書は精神の糧であり、人間一生の間で本との出逢いがとても大切な事は言うまでもありませんが、現代社会では孤独や対人的なコミュニケーションの不足といった別の問題も無視出来ず、その点朗読会は人と人との交流が保て、一石二鳥の効果を期待できます。脳生理学の臨床例から声を出して読む事、またその読んでいる声を聞く事が脳の活性化に繋がる事が証明されつつあります。朗読ないし朗読会は、日仏を問わず今後読書運動を社会的に進める上で、もっと注目されて良い一つのネライ所ではないかと考えられます。
巴里より

①社交ダンスをやっている人間ほど社交性が無い。

 社交ダンスは英語では「ボールルーム・ダンス」、フランス語では「ダンス・ド・サロン」と呼ばれるように、舞踏会場や社交室で踊られた社交のためのダンスである。
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「社交の為の」と言う基本的性格は現在に到るまで変わることは無い。何故なら、18世紀のフランスの思想家モンテスキューが「賢いペルシャ人」の中でいみじくも言っているように、「人間は社交的動物」なので、もし社交のためのダンスが無くなれば、新しく作る外ないからである。その後で彼はフランス人が一番人間的で社交的であるとしている。
ところが社交ダンスから社交性がなくなっても平気で踊れるのが日本人である。実態はと言うと社交ダンスは文部省で管轄され、「生涯スポーツとしての国民のためのダンス文化の育成」を目指すとされる。もちろん「文化」などという言葉の使用は単に言葉尻の付け足しに過ぎない。そしてこのダンスのスポーツ化は止まる所を知らず、プロもアマチュアも競技会用の10種類のダンス、いわゆる「テン・ダンス」しか踊らない(踊れない)。
外国の舞踏家が始めて日本に来て、腰を抜かすほど驚くことはこの点にあり、柔道のように何段階にもランク付けされた資格を取るため、試合に勝つ為、更には単なる素人に過ぎなくても踊りの技術だけに執着している姿である。日本の社交ダンス教師の草分けの一人であった玉置真吉はダンスを三つに分け、「体育ダンス」「舞台ダンス」「社交ダンス」とし、社交ダンスは夜会や舞踏会場に於いて行なわれるものとしている。
またダンス界の長老の一人であった故川北長利氏は「スポーツダンスという和製英語が罷り通るようではダンス大国になれないと思います。風俗営業法を忌避するあまり社交ダンスをスポーツにきょくせきさせる気持ちは分かりますが、ダンスを文化としておおらかに育ててこそ伝統が出来、ダンスの後進性を克服できるのではないかと思います。」と言っている。
スポーツマンシップを否定しているのではない。ただ、男女が組んで踊るカップルダンスに求められるのは社交の精神であろう。日本には古来、男女が直接肌を日常的に接触する文化が無かった上、フレンチスタイルよりも几帳面な英国式ダンススタイルが取り入れられてきた経緯もあり、「社交の文化」が無い以上、現状に落ち着かざるを得ないことも分からないでもない。遥かなる鹿鳴館やダンスホール花月園、大陸の大連ホールなどに思いをはせても致し方ない。しかしここで欧米と日本のダンス風土の違いを簡単に整理しておく必要がある。まず欧米では当然のことながら、社交を主にしたパーティーダンスが一般的であり、競技会ダンス(正式にはスポーツダンスと呼ばれる)は一部の専門家やその方面のスポーツ選手が行なうものである。次に殊にヨーロッパに言える事であるが、各地域にその土地のフォ-クダンスがあり、更にその上にルネッサンス・バロックの時代から培われて、宮廷を中心として広まったヒストリカルダンス(メヌエット・ガボットなど、舞踏会用のウィンナーワルツを入れても良い)が存在する。日本人がややもすると欧米の主流と思ってやっているテン・ダンスはきわめて狭い世界の踊りであり、逆に欧米ではほとんど通用しないのである。
ダンスの本を書き、自らも踊られるフランス通のジャーナリスト、浅野素女女史はその著書の中で「フランスでダンスが楽しいのは、ダンス・パーティーに上手も下手もないという点である。」と書いている。
何故この様な素直な(?)気持ちになれないのであろうか。やはりどうしても日本人一般のメンタリティーの特殊性、風俗習慣の一方向性に言及せざるを得ない。例えば巷ではだいぶ前からカラオケが流行っているが、最近ではつまるところ、歌を自然に楽しむ事よりも、カラオケの競技会で勝つ事、ないし少しでも良い成績を上げる事が自己目的化し、そのために奔走している愛好家の姿ばかりが目に付く。ダンスとカラオケはジャンルとしてはかなり違うものだが、日本人にかかると結局同じ性質のものになってしまうのである。
ダンスとはダンスと言う名の男女の交際であり、交際術なのだ。実はこの本質を最も分かっていないのがダンス愛好家の人たちである。戦後の社交ダンスはダンス教室と趣味の愛好会(ダンスサークル)の普及により発展してきたが、教室で「勉強」をする事と、趣味を生かすと言う言葉は耳障りも良いが、戦後日本の個人的エゴイズムに傾斜するメンタリティーとぴたりと符合している。これはいわゆる趣味の会やサークルに出入りする人たちに共通する点だが、要は自分のしたい事をしているだけである。道徳観や社会観を持たず、自分の興味のある事、やりたい事だけをやればよいと思っている人間がいるとしたら、それは単なる我儘な「大人子供」に過ぎない。
社交ダンスは相手(とりわけ異性)がいてはじめて成り立つものであるが、相手を尊重したり、相手に対する配慮・思いやりと言ったものに欠ける人間ばかりでは、ボディ・ランゲージも含めてコミュニケーションは成立し得ない。組んでいても一度も目を見交わさない、微笑みが無い、ダンスの前後も含めて言葉を交わさない、自分のレベルより下の相手はさっさと切り捨て、見せびらかすためないしは自己満足のためだけで踊っている光景がこの世界ではどこでも日常茶飯である。つまり相手不在なのである。
それと言うのも社交ダンスを社交と思っていない(社交の意味が分からない)人間ばかりなのだから始末が悪い。私が古巣の某ダンスサークルから足を洗ったのも以上の具合で、呆れ果てたからである。
実際の所、この世界は他人と話さなくても済むので(どんなに近くに居ても)、最も社交性に欠けた人たちのたまり場となってしまうのである。それから日本ではダンスの為のボールルームに該当する施設がほとんど無い(演技発表のための舞台はある)、と言う物理的な問題も有る。せいぜい多目的ホールであり、ダンスのために、社交も含めてダンスを楽しむためには作られていない。例えば社交ダンスをやる人間なら誰でも知っている東京の北トピアも同様で、前を向いて座るだけの、疲れ休めの椅子が幾つか部屋の隅においてあるだけである。ただ踊るだけ、つまり自分の趣味を満たすためだけで満足し、その場に何の不都合も感じない人たちを見ていると、日本社会の貧困を痛感するとともに、その場から逃れて、ルノワールが描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」の絵の中にでも逃れたい気分に襲われるのである。但し、以上の事は一般的傾向を述べたまでであって、個々の社交ダンス愛好家に当てはまるものではない。


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